アルゼンチン経済について アルゼンチンペソ(ARS)でFX・アルゼンチン株の投資信託で資産運用

アルゼンチンペソと市場価格の行方

2007年12月の大統領選挙で当選したキルチネル氏は前大統領の夫人です。

ということは、これからのアルゼンチン政府の路線としては、これまでと同じという結果になることでしょう。

アルゼンチンペソは為替相場では安定をしています。対米で対日本でもアルゼンチンペソの値動きは小さいものになっています。

では、アルゼンチン国内ではどうかというと、インフレ率は下がりつつありますが、前キルチネル大統領の公共施設の国有化対策により、国民の不満が出そうな気配はあります。

民営化された公共料金抑制など市場外での価格の統制となど、経済過程に政府が介入する企業と政府との間で価格協定を締結する形をとってきました。

こうした政府介入を端的に示されたのが食肉価格をめぐる職人流通・加工業界と政府との対決で、2006年までは食肉輸出停止措置をとるまでに至りました。

まだアルゼンチン国自体が政府介入という形をとっているため、為替等の取引など自由に行われないのが現状で、為替市場にもアルゼンチンペソの通貨は出回っていません。

新大統領にはなったものの、また同じ路線ということで、価格協定など、政府が市場に顔を出すことは必至でしょう。

市場価格に政府が介入しなくなり、早くアルゼンチンペソの通貨を為替市場で自由に取引できる日が来るといいですね。

アルゼンチンペソの前途はいかに…?

アルゼンチンペソと新銀行

アルゼンチンを含め、南米7カ国が域内の経済開発を目的とした新銀行を設立することになりました。

「南の銀行(バン・デル・スル)」と名づけられた銀行で、各国が約70億ドルずつの分担となります。

アルゼンチンなど南米各国はも経済危機に際し、IMFの支援を受ける一方、厳しい緊縮財政を求められています。自前の銀行創設で金融面の独立性を高める狙いがあります。

アルゼンチンペソ、ブラジルレアルも通貨危機を経験し、そのたびにそのほかの南米諸国は余波を受け、経済発展にしても遅れていました。

ここはアルゼンチンペソを含む通貨の本格的な独立と、流通性を高めるための第一歩となるでしょう。

アルゼンチンペソなどの為替相場にしても、まだまだの南米諸国で、日本においても金融商品が市場に出回るようになるには、まだ時間がかかるかも知れません。

アルゼンチンペソのFXなどもありませんが、この新銀行設立をきっかけに、世界に大きくアピールされることは間違いないでしょう。

今後のアルゼンチンペソの動向の注目です。

アルゼンチンの政策金利について

アルゼンチンは2002年1月に91年4月以来の1ドル=1アルゼンチンペソのドルベック制を放棄し、変動相場制に移行しました。

全てが自由になったわけではなく、銀行預金の引き出しに適用する為替レートは1ドル=1.4アルゼンチンペソにするなど、政府の政策により、金利の動向も定まらない状態でした。

その結果、インフレが急騰するなど、経済混乱に陥り、政策金利上昇で政府は切り抜けようとしましたが、観光収入などの増加で、財政的にも潤い、徐々にインフレ率も低下しました。

政府は預金回復を受け、引き出し規制の撤廃し、預金の増加し、それに伴い、政策金利低下となりました。

アルゼンチン中央銀行は買い戻し一致を倍増し、流動性を後押しし、南アメリカの二番目に大きい経済の借入コストを下げるための努力の四分の一ポイントによって金利を今日切った。

アルゼンチンペソの安定になり、自力での成長を目指し、物価安定や消費拡大などで、アルゼンチンの政策金利も極端に上げることなく、今に至っています。

経済成長は高い数字となっていますが、インフレ率にしても低下とはいえ、なくなったわけではなく、安定したアルゼンチンペソにしても、どう転ぶか分からないエマージングの国であることに違いはありません。

日本円とアルゼンチンペソの具体的な取引のできる体制ができいない今、スワップが魅力のFXなど政策金利を気にするような立場ではないものの、今後の2国間の関係については、今よりも緊密になる可能性はないわけではありません。

アルゼンチンと金利

アルゼンチンでは、10月に選挙があって、フェルナンデス次期大統領が決まりました。

2007年のインフレ率は、7〜11%という数字を挙げました。
国は、インフレ率が高まると、金利上昇を掲げますが、アルゼンチンでは今回は、具体的な数字は避けました。

IMFの介入があるアルゼンチンでは、IMFの資産でインフレ率は12.6%と温度差を感じさせる発言もありました。

税収収入の増加のため、中間層の負担軽減と裕福層の負担増加を図る政策を出し、銀行では個人向け貸出金利12%、中小企業向け貸出金利9%に、クレジットカード金利の0%に引き下げる措置を発表したようです。

アルゼンチンの成長率は、ここ数年高い水準を維持しており、選挙年であった2007年も不透明感解消から金融指標は改善しています。

外貨準備高も増加しており、脆弱なアルゼンチン経済からの脱却を目指しています。

日本からのアルゼンチン投資はファンド、それもアルゼンチン一国ではなく、中南米という広いくくり方ですが、金利差による高いスワップ金利の期待できるFXの出現が待たれます。

アルゼンチンペソについて

アルゼンチンペソ導入(1991年)以前に使用されていた「アウストラル」と呼ばれていた通貨を使用していました。

アルゼンチンのハイパーインフレ(1989年で5000%のインフレ率)によって経済がダメになり、当時の政府が通貨をペソに切り替え、ドルペッグ制(為替相場を1ドル=1ペソに固定)を導入しました。

これにより通貨が安定し1990年代は高度経済成長が続きました。

しかし、元々経済力が低いアルゼンチンです、ドルペッグ制は無理がありました。

1999年に発生したブラジル経済危機により、アルゼンチン経済も泥沼に陥り、2001年には対外債務のデフォルト(債務不履行)にまで至りました。

その後2002年に、変動為替制になりましたが、ペソがドルに対して急落した結果、輸出が競争力を取り戻し、2003年以降景気が回復し始めます。

ペソの下落がアルゼンチンへの観光客増加となり、このことも追い風となっています。

アルゼンチン経済の歴史

アルゼンチンは、2回にわたる世界大戦に直接関与せず、各国への農牧産品供給国として利益を得た20世紀初頭には世界有数の富裕な経済状態にありました。

ところが、アルゼンチンは、第二次世界大戦後、工業化偏重政策をとるが産業構造の転換に成功せず、次第に経済が低迷しました。

ペロン政権以降顕著になった福祉のための放漫財政、1960年代以降に頻発する政変、クーデター、1982年のマルビーナス(フォークランド)戦争とその敗北、1988年のハイパーインフレーションによる富裕層の没落、海外脱出が続くなど経済は混迷の度を深めました。

その後、親米・親IMF路線を掲げたメネム政権の新自由主義政策により、1990年代には年率9%にも達する経済成長を遂げました。

一時的に安定したかと思ったアルゼンチンの経済ですが、1999年に起きたブラジルのレアル切り下げでペソが相対的に高くなり、輸出競争力を喪失、国際収支は悪化しました。

結果的に通貨危機により完全に暗転、2001年には対外債務の返済不履行宣言を発する事態に陥り、経済が破綻し、アルゼンチンの国際的な評価は地に落ちている。

メルコスール加盟国となったことにより、アルゼンチンは、南米諸国との経済交流の活発化による諸外国からの投資の増大に、経済の復活を賭けています。

特にブラジル、ベネスエラとは政治面でも関係を深め、ベネスエラからの南米大陸縦断天然ガス輸送管の設立も計画しています。