アルゼンチンペソの相場は? アルゼンチンペソ(ARS)でFX・アルゼンチン株の投資信託で資産運用

アルゼンチンペソとドルの為替事情

為替取引にも大きな制限があった当時よりも、アルゼンチンの固定相場制ははるかに自由な固定相場となりました。

アルゼンチンペソが1ドルという為替相場は約10年間続きました。

アルゼンチンペソドル為替レートが同じということで、アルゼンチン政府は手持ちのドル資産の総額を越えない範囲でアルゼンチンペソを発行し、アルゼンチンペソの価値は固辞しようとしていました。いざという時にはIMFが後ろにいたわけです。

でも、そんな時期は長く続くわけがなく、不況、インフレと税収の落ち込みなど、問題が山積になります。

ドルアルゼンチンペソが等価ということで、アルゼンチンペソが高く評価され、政府は国債の金利を上げ、ペソの価値を高めようとしますが、かえってコスト高となってしまい失敗します。

ドルとの為替レートも徐々に変動為替制になり、アルゼンチンペソも本来の価値でゆっくりと復興していきますが、現在に至るまで、もう一度、通貨危機を経験します。

アルゼンチンペソ為替業界でも信用ゼロという事態になりますが、今でもその当時の国債の財務処理が行われています。

ドル為替と等価という時代、最初の時は豊かな時だったアルゼンチン、再び裕福な国を目指して頑張るアルゼンチンです。

アルゼンチンペソ、相場の変遷

アルゼンチンペソは、2001年末に経済危機に見舞われました。

アルゼンチンは、1991年からアルゼンチンペソを米ドルに対して1対1の交換比率で連動させる固定相場制を採用しました。

中央銀行は通貨供給量を制限してアルゼンチンペソの信任を高め、これによって固定相場を維持するとともに、輸入物価上昇を通じたインフレを抑え込むことにも成功したのです。

ところが、ロシアの通貨危機が中南米に飛び火した1998年以降、ブラジルなどの周辺国は相次いで通貨の切り下げを実施しましたが、アルゼンチンだけは固定相場制を維持したため、アルゼンチンペソが周辺国の通貨に対して著しく上昇、輸出競争力が削がれてしまいました。

中央政府や地方政府は巨額の財政赤字を抱えて、2002年末には政府が1400億ドルに上る対外債務の支払い停止(デフォルト)を宣言し、経済危機が顕在化しました。

アルゼンチンはIMF(国際通貨基金)の金融支援を仰ぐとともに、IMFの要求に従うかたちで2002年から為替制度を固定相場から変動相場制へと移行しました。

アルゼンチンペソがドルに対して急落した結果、輸出が競争力を取り戻し、それが2003年以降の景気回復へとつながります。

アルゼンチンペソの為替相場はどう?

アルゼンチンペソの為替相場は、2002年1月に兌換法(1米ドル=1アルゼンチンペソに固定)から、1ドル=1.4アルゼンチンペソの公定相場(主に貿易取引用)と自由相場の二重相場制に移行しました。

さらに、同年2月11日からは為替相場は、単一自由相場制を採用されました。

2001年のアルゼンチンペソ危機が、引き起こした混乱劇でしたが、あれから6年経ち、あのときに解雇された人々により、会社再建に乗り出し、200以上の業が蘇るという状態にあります。

それにより、アルゼンチンペソの為替相場も安定しています。

VISTAという期待される新興国の一員に名前を連ねるなど、今後もアルゼンチンペソの為替市場は注目です。

アルゼンチン再建の根底にある連帯経済という思想の広がりが、アルゼンチンペソの為替相場を支えているといっても過言ではありません。

見事に蘇ったアルゼンチンペソの為替相場、今後も見つめていきたいと思います。

アルゼンチンペソの相場について

アルゼンチンのマクロ経済が好調に推移する状況下、アルゼンチンペソ相場も活況を呈している。

ブエノスアイレス証券取引所の代表的な株価指数であるメルバル(Merval)株価指数の推移をみると、2003年頃から急速な勢いで株価が上昇相場となっています。

アルゼンチンペソの為替相場は4年間で4倍の水準まで上昇しました。

日本にはアルゼンチンの株式市場を対象にした単独の投資信託商品がありません。
また、アルゼンチンペソに投資という形もとることができません。

日本の個人投資家がアルゼンチンの株式市場に投資をする際には、アルゼンチンの銘柄が一部組み込まれた中南米ファンドなどによって投資をするのが一般的です。

このままの推移でいきますと、アルゼンチンペソ相場は期待が持てそうですし、中南米ファンドの相場も高い水準が望めそうです。

アルゼンチンペソの為替について

アルゼンチンは牛肉の輸出によって急速に経済発展し、1930年代には世界で最も豊かな国の一つでした。

ところが、繁栄は長く続かず、第2次大戦後、混乱、敗戦など最悪の状態で、挙げ句の果てには、1989年には年率5000%という超インフレに襲われ、商店の値札が毎日値上がりする状態になりました。

ところが1990年代になると、アルゼンチンは一転して模範的な経済体制だといわれるようになります。

このときアルゼンチンが成功したもう一つの理由とされたのは、通貨アルゼンチンペソ為替変動を抑えるため、多々アルゼンチンペソの為替相場を1アルゼンチンペソ=1米ドルで固定する政策をとったことでした。

為替相場を固定することによって、海外の投資家、特にアメリカの投資家が、為替変動のリスクを気にせず、米国内の企業などに投資するのと同じように、安心してアルゼンチンに投資できるようになりました。

アルゼンチンの固定相場制は、自由になった世界の為替市場の中で固定相場を維持するものでした。

そして、1999年アルゼンチンショックと言われるデフォルトがおきます。

2002年、試行錯誤の上、変動為替制となり、やっと2003年よりアルゼンチンの景気は上向きになり、現在に至っています。

現在は、1ドル=3アルゼンチンペソ、1アルゼンチンペソ=34円での為替推移です。